源氏物語 右往左翁
紫の ゆかりのいろを うすく こく
あやなし つくる ものがたりかな
「紫のゆかりの物語」は源氏物語を指す言葉である。 平安時代の更級日記には、すでにその呼称で源氏物語が言及されている。 この一首は、光源氏や紫の上、そのゆかりの人々のことがつづられて、それは綾織物のようになって、美しい物語であるという歌意であろう。 作者は日本古典文学を専門とする大学教授であり、自身でも歌集を出版している。 右往左翁は雅号。
源氏物語 右往左翁
紫の ゆかりのいろを うすく こく
あやなし つくる ものがたりかな
「紫のゆかりの物語」は源氏物語を指す言葉である。 平安時代の更級日記には、すでにその呼称で源氏物語が言及されている。 この一首は、光源氏や紫の上、そのゆかりの人々のことがつづられて、それは綾織物のようになって、美しい物語であるという歌意であろう。 作者は日本古典文学を専門とする大学教授であり、自身でも歌集を出版している。 右往左翁は雅号。
お茶 右往左翁
めさましの くさ たてあげて みるいろは
茶にはあらずて みどりなりけり
「めさましの草」とは抹茶の意。 抹茶を点てて見る色は緑なんだという歌意である。 今回のキモノショーの展示が「色」にまつわることから「茶」といってもブラウンの茶ではないと一言添えているのがユーモアと思われる。 作者は茶道文化が根付く島根県松江の出身。その作者の歌集には次のような一首も掲載されている。 「たのしみは いづもやきなる 茶盌にて めざましぐさを たててのむとき」
青 右往左翁
青あをと あらし ふくなり あららかに
わかき をのこの いぶきの ごとく
上の句にA音が多く、勢いが感じられるので、ぜひ口ずさんでみていただきたい。 五行思想で青は春の色とされているので、春の嵐を暗示しているのかもしれない。 そんな嵐がまるで若い男子の息のようだと詠んでいる。 「あららかに」というのは荒々しいという意味。 ここ数日吹いていた春の嵐の荒っぽさには閉口していたが、青春の息吹かと思えば、惜しくも思えてくる。
赤 右往左翁
みんなみを もる とりのなか ひに もゆる
赤きこころを たれも もたなむ
「みんなみ」は南の意味。 南を守る守護神である朱雀という鳥を指しており、火や赤色を象徴している。 そのように燃える心を持とうという歌意であろう。 余談だが、それぞれの方位の守護神は、東は青龍、西は白虎、北は玄武である。 興味深いことに、方位には季節も対応関係があり、東は春、西は秋、南は夏、北は冬である。
黄色 右往左翁
西もにし もろこしよりも なほ にし ゆ
とびくる 黄なる 大地の いさご
黄砂を詠んだ歌である。 「もろこし」は中国の古い呼び名。 中国よりもさらに西から飛んでくる砂漠の砂を詠んでいる。雄大な歌である。 黄砂の流れはシルクロードにも通じるが、その恩恵は日本に多大な影響を与えた。 同じ作者が詠んだシルクロードの歌を紹介しよう。 「ひむがしの 果てつはてまで つながりて もの人きぬの 道ぞゆかしき」 「ひむがし」は「東」の意。「きぬ」は「来ぬ」と「絹」の掛詞である。
装束 青栁隆志
襟元の 色さまざまに 重なりて
十二単は ととのほりたり
十二単の魅力のひとつは、襟元の重なりであろう。 あれだけ幾重も合わせる衣装というのも古今東西珍しいのではないだろうか。 一方で、それを美しく重ね合わせるには、衣紋者(装束を着せる人)の技量も問われる。 大学教授である作者は、教育機関などで十二単の体験活動を続けている。 十二単の襟元が美しく完成すると、御方(装束を着る人)はじめ、皆さん喜ばれることだろう。
学生 青栁隆志
いにしへゆ 針と五色の 糸をもて
あまたきぬぎぬ 縫ひし児らはも
古い時代から針と五色の糸を用いて多くの衣を縫ってきた人々への賛歌と思われる。 「はも」は強い詠嘆を表している。 調べてみると世界最古の縫い針は5万年前のものだと判明しているそうだ。 作者は大学の教授であり、学問や知識、技術を若い学生に伝えていく立場でもある。 まもなく入学式。夢と希望を抱いた学生たちが未来へ文化を繋いでいってくれることだろう。
紫 青栁隆志
こきいろと うすいろとのみ いはばげに
むらさきいろを 指すが尊さ
日本の伝統色で「濃色(こきいろ)」「薄色(うすいろ)」というものがある。 字面だけ見ると色の濃淡だけのようであるが、この名称で前者は濃い紫色、後者は薄い紫色を指す。 色の名を明示しなくても紫を意味するのは、それだけこの色が特別であることが伝わってくる。 そのような紫の尊さを詠んだ一首であろう。 令和の御大礼の折、皇族女性方に紫色の袴をお召しになられた方がいらしたが、あの袴の色は濃色とされている。
着物 御手洗靖大
はるの日に 絹はのどけく 光りたり
源氏の香の 留袖ぞゆく
「はる=春」「のどけく」「光り」という言葉に次の一首を思い出す。 「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」 そのような春の日に絹が穏やかに光る、それは源氏香の留袖の姿だ。というような歌意であろう。 源氏香は、香道での組香の一つ。 源氏物語の各帖を五本線の図で示すが、その図は工芸などで意匠としてよく用いられる。 この歌に詠まれたご婦人の行き先は、さてどこだろうと想像してしまう。
緑 御手洗靖大
はなもなき 里の外山に 春はきて
泉はいとど 色ます緑
外山とは人里に近い山のこと。 花もまだ咲かない里の、その近くの山に草木が芽吹いて、春が近づいてくる期待感が感じられる。 作者は拾遺和歌集を研究しており、その集に次のような和歌がある。 「松をのみ 常盤と思ふに 世とともに 流す泉も 緑なりけり」 長命や永遠を象徴する松の緑をうつしている泉もまた永遠だという祝意の歌である。 「緑」題のこの一首にも、春の祝いが込められているような気がする。
桜色 御手洗靖大
しづもれる あかつきがたの 清水は
月も色づく 花のうたげぞ
「あかつきがた=暁方」は夜明け前後の時間帯である。 人の気配もなく静かな清水で、月も色づくほどに花が盛りだという歌意であろう。 花の宴とはさぞ満開の様子がうかがわれる。 薄暗い世界に、桜の色がぼんやりと浮かんでいる。 徐々に夜明けが近づくにつれ、その色は濃くなっていく。 幻想的に桜の色が伝わってくる一首である。
振袖 菅原秀太
をとめらは ゑみて歩めり 振袖の
揺るぐ袂の かげぞゆかしき
旧仮名遣いで「をとめ=乙女」「ゑみ=笑み」が表記されている。 たくさんの乙女たちが笑いながら歩いている光景が想像される。 その乙女たちが、まとっているのは振袖。 振袖ならではの長い袂のさまはとても華やかに感じられる。 成人式の様子を題材にしているのかもしれない。 着物が身近でない人も増えているが、成人式で振袖を着るという文化は今も旺盛で嬉しいことである。
黒 菅原秀太
いはふ日に まとふたれもの ぬばたまの
色にいみじき 重みおぼえぬ
「いはふ=祝う」の表記で「たれもの」は染めの着物。 「ぬばたまの」は黒いものにかかる枕詞のため、次に続く「色」が黒いものであることを示している。 祝う日に着る黒染めの着物となれば黒紋付に思い至る。 黒紋付をまとい重みを感じるのは、特別な日だからなのかもしれない。 「祝いに着るこの黒紋付ちゅうんは、なんか分かれへんけども、重い気ぃするんはなんでなん」という冒険的な訳を添えようと思う。
白 菅原秀太
あかみどり あをを重ねて しろたへの
光はいよよ かかやきにけり
「光の三原色」では、赤、緑、青を重ねると色は白に近づき明るくなっていく。 「しろたへの」は白いものに掛かる枕詞であるから次に続く「光」が白いものであることを示している。 「いよよ」は「さらに」の意。 「かかやく」は「輝く」の意だが、濁点がつかないのは古い言い方とされている。 「赤と緑と青の光を重ねてみいや、むっちゃ白い光で輝くねんで!」という歌意であろう。